姫路市網干区の自費治療専門院・完全予約制・土日祝診療 鍼灸、整体、交通事故、リハビリ、コンディショニング

つぼき鍼灸整骨院

〒671-1228
兵庫県姫路市網干区坂出160-3

院長紹介

院長あいさつ

氏名・生年月日

坪木 心吾(つぼき しんご)
昭和55年2月1日生まれ
(水瓶座、申年)

趣味

・温泉めぐり
・ドライブ
・コーヒーを淹れること
好きなアーティスト:ゆず、いきものがかり、西野カナ
好きな作家:山﨑豊子、宮本輝、村上春樹
尊敬する人:日野原重明、稲盛和夫、イチロー、出川哲朗

資格

・はり師
・きゅう師
・柔道整復師
・認知症サポーター
・介護職員初任者研修修了

略歴

第1~3回世界遺産姫路城マラソン 救護トレーナー
母校・姫路商業高校水泳部の選手達をサポート
龍野若竹会(少年柔道チーム)指導員、専属スポーツトレーナー
柔道弐段、全日本柔道連盟公認C指導員、C審判員
日本けん玉協会姫路支部理事、審判部長、けん玉道四段、公認B普及指導員
魚吹幡神社秋季大祭 和久屋台副総取締(平成28年度)
和久町歳末夜警担当(平成25~28年度)

平成4年 姫路市立大津茂小学校卒業
平成7年 姫路市立朝日中学校卒業(水泳部)
平成10年 兵庫県立姫路商業高等学校 情報科学科卒業(水泳部)
平成15年 埼玉東洋医療専門学校 鍼灸科卒業(はり師きゅう師国家資格取得)
平成15年 中国遼寧省・遼寧中医学院大学(現:遼寧中医薬大学)にて研修
平成15~18年 大阪医科大学麻酔科ペインクリニック 臨床実習生(大阪府高槻市)
平成15~17年 医療法人久保整形外科 リハビリ科勤務(大阪市旭区)
平成15~21年 坪木鍼灸院開設(大阪市旭区・往診専門の治療院)
平成16~17年 放送大学教養学部単位履修生
平成17~21年 医療法人田中クリニック リハビリ科勤務(大阪市東住吉区)
平成21年 森ノ宮医療学園専門学校 柔道整復学科卒業(柔道整復師国家資格取得)
平成21~25年 おおはら整骨院勤務(揖保郡太子町)
平成21~25年 坪木鍼灸整骨院開設(姫路市網干区・週末、夜間専門の治療院)
平成25年6月 当地にて、つぼき鍼灸整骨院 開院

  • 「すべてのアスリートを応援します」をテーマに、各種スポーツ大会の救護、トレーナー活動を行い、そのノウハウを施術にも活かしています。世界遺産姫路城マラソンでは2015・2016では、ケアステーションにてランナーのケアを行いました。アスリートからの信頼度は高い。
  • 機能訓練指導員認定柔道整復師の資格を有し、姿勢指導、運動指導、日常生活指導などを行っています。

生い立ち

兵庫県神戸市生まれ、姫路市育ち。両親とも会社員の共働き。
父は製鉄会社の鉄鋼マン、母は大手電気通信会社に勤務していました。
裕福でもなく不自由もなく。
父の会社の社宅に暮らしていて、普段、両親は家にいない“カギっ子”で、1歳下の弟と宿題をしたり、テレビを見ながら留守番をしていました。
両親は仕事でクタクタになって帰宅していました。
幼少の私が両親に、肩もみや背中を押してあげると心地良さそうに喜んでおりました。
これが人の身体に触れる原点だったと思います。

小学校時代、勉強や運動は中くらい。
あまり目立つことはありませんでしたが、色んなことにチャレンジしていました。
特にハマったのは、けん玉。衝撃的な出会いでした。
小学6年生の時には四段まで昇段、大会では上位に入賞していました。
今もけん玉に関わっています。
けん玉道の精神「あせらず あわてず あきらめず」はこの頃から、私の大切な座右の銘になっています。

4歳から水泳を始め、高校卒業まで競技を続けました。
水泳のおかげで病気とは無縁でした。
しかし中学時代に学校の水泳部とスイミングクラブを掛け持ちし、オーバーユースで肩痛、腰痛、膝痛などケガを繰り返し、思うように練習が出来ない。
特に肩痛がひどく、リカバリー(水をかいた手を前方に戻す空中動作)ができず、水面を這ってしまう程になっていました。
当然、試合で結果が出ない。伸び悩みました。人生初のブランクでした。
指導者や両親は治療に協力的でした。
そんな時、出会ったのが「鍼灸・柔道整復」の世界。
すごい世界がある。白衣を着た先生はめちゃカッコいい!
中学3年生の時に阪神大震災が起こり、人に寄り添える、人助けができる仕事がやりたい。これだ!

「鍼灸師・柔道整復師」は私の憧れ、夢でした。

鍼灸師・柔道整復師を目指すまで

鍼灸師、柔道整復師に強い憧れを抱いた中学生時代でしたが、
高校2年生になったころには、そんな想いは薄らいでいました。
何もかも嫌になり、自暴自棄になってしまったのです。
高校卒業後約2年間、職を転々とし、何をしても長続きしません。
同級生が仕事や大学など新天地で頑張っている話を聞いて羨ましかった。
自分一人だけが取り残された気持ちでした。
そんな中、「もう一度、憧れの鍼灸師、柔道整復師を目指してみよう」
という想いが沸々と湧いてきました。
父に相談すると、「お前にはブランクがありすぎる。それでも覚悟はあるんか?」
長い期間、悩みました。
「お前に覚悟があるなら協力する、親がお前に残せる物は教育しかない」
父の言葉を励みに、まずは鍼灸師を目指すことになりました。
「これ以上、両親には絶対迷惑をかけられない。」私はがむしゃらでした。
約半年間、受験勉強を続けて、平成12年4月、新設校だった埼玉県の鍼灸学校に第1期生として入学しました。
学費、生活費は両親が力になってくれたおかげで、余計なことは考えず学業だけに集中できました。
20歳の時。
新設校で、先生と学生が意気揚揚としている雰囲気が私の肌に合っていました。
素晴らしい恩師、学友に恵まれました。
私のように人生行き詰まり、切羽詰まって後がない学生も多くいました。
挫折を経験し、決して順風満帆ではないけど、未来を切り拓こうとしている人たちとの出会いはとても大きかったです。
素晴らしい人たちとの出会いは私の人生を豊かにしてくれました。
鍼灸学校での勉強は本当に楽しかった!こんなに勉強が楽しいとは思いませんでした。
東洋医学は面白い!奥が深い!これが自分の一生の仕事だ!
成績はいつも上位でした。
「これ以上、両親には絶対迷惑をかけられない」想いが常にありました。
その頃、私を一番かわいがってくれ、心配し、将来を案じてくれていた父方の祖父が癌で亡くなりました。
私が鍼灸師を目指している事を知るととても喜んでくれていました。私が鍼灸師になる前に亡くなったのです。
祖父が亡くなったことで、「自分は絶対、立派な鍼灸師になる!」
と強い決意を持ちました。
平成15年2月、鍼灸師国家試験には、祖父の形見だったセーターを着て挑みました。
結果は一発合格でした。きっと祖父が取らせてくれたのだと思います。
23歳の時。
いよいよ鍼灸師の人生が始まります。

鍼灸師、柔道整復師になってから

埼玉から大阪に移住し、大学病院麻酔科で卒後臨床実習生として、卒後3年間、臨床経験を積ませてもらうことになります。
たくさんの鍼灸師、医師の治療を間近で見させて頂きました。
臨床だけでなく、研究や学会発表などもさせて頂いたことは貴重な経験で、今の私の鍼灸治療の基礎になっています。
臨床実習生をしながら、整形外科に勤務する生活で、休みはほとんどなく、毎日ヘトヘトでしたが、とても充実していました。
鍼灸師の国家資格を取得後3年が経ち、自信をつけたところで、
次の国家資格、「柔道整復師」にチャレンジすることになります。
26歳の時。

当時、大阪で「臨床の森ノ宮」と言われ、臨床教育に力を入れていると評判の「森ノ宮医療学園」夜間部に入学します。学費は全額奨学金です(現在コツコツ返済しています)。
私はここでの3年間も、素晴らしい恩師や学友に恵まれました。
森ノ宮医療学園では学業だけでなく、柔道と出会い、懸命に稽古して今現在も続けています。
昼間はクリニックに勤務し、夜は授業の生活でした。
臨床と学業はおろそかにならないように、将来を見据えてブレないように心がけていました。
国家試験はかなり難しくなっていましたが、平成21年3月、無事に柔道整復師国家試験に一発合格。最後は気合と根性だけで、必死のパッチで乗り切りました。
6年間住んだ大阪を離れ、郷里の姫路に帰省することになります。29歳の時。

姫路に帰省し、森ノ宮医療学園の先輩にあたる方の整骨院に約4年勤務しました。ここで柔道整復師としての経験を積むことになります。毎日多くの患者さんが来院するところで、外傷もたくさん見させてもらいました。夜遅くまで患者さんがいて帰りが遅くヘトヘトでした。
この頃、少年柔道チームや柔道大会で救護トレーナーをさせてもらい、軽傷のものから悲惨な怪我まで数多くの症例を診させて頂きました。
私の柔道整復師としての経験は柔道を通じて多くを学んでいます。
一大決心して退職を決意し、いよいよ独り立ちするため、開業準備にかかります。
網干にある魚吹八幡神社の秋祭りが大好きだった私。創業は姫路市網干区坂出に決まりました。毎年10月21、22日の秋祭りには、和久、高田、糸井、福井、坂出の5台の屋台が通過する道路沿いです。

開業

平成25年6月21日、兵庫県姫路市網干区坂出で「つぼき鍼灸整骨院」を開院しました。
自分の仕事に誇りと責任を持つため、苗字を屋号としました。
33歳の時。
開院当初から、知人やご近所の方など多くの患者さんで溢れました。かつての水泳仲間、柔道仲間、けん玉仲間、祭り仲間、同級生が口コミしてくれたりして力になってくれました。生まれ育った環境がバックボーンになる。これこそ地元の利点でした。
6台分ある駐車場に車が止められないほど、6台のベッドが埋まるほど、待合の椅子に座れないくらい多くの方が来院されました。流行っている院だったと思います。
多くの方の協力やスタッフがいてこその開院スタートダッシュでした。

しかし、良くないスタッフ、患者さんがいたことも事実です。
「スタッフが足らない、もっと増員してほしい」と要望され、2倍の数を採用すると、スタッフ同士がお喋りに夢中で更に回らない状況に陥りました。
気に入らないことがあると暴力的な態度をとるスタッフ、平気で休んだり、突然辞めるスタッフ、1から10までいちいち指示を出さないと出来ないスタッフには手を焼いていました。しかし、そんなスタッフにも頼らなければ院の運営はできませんでした。
褒めても、叱っても逆効果。最悪な状況でした。人にはホント悩まされました。

院が多忙な上、休日は学会、セミナー、トレーナー活動、柔道の審判などで休みはほとんどなくストレスと疲労は限界を越えていました。身体も心もボロボロで疲れ果てていました。
家族の理解と協力だけが救いでした。
院は賑わっていましたが、人と会ったり、お喋りが目的の「お喋りサロン」と化していました。それなら喫茶店に行けばよいのです。
保険治療だと一回数百円程度でしたので、整骨院を「保険で安く揉んでくれるところ」と勘違いされていました。
治療そっちのけで隣のベッドの患者さんとお喋りに夢中な方がいたり、携帯電話が鳴るとたびたび治療を中断することもありました。これでは治療どころではありません。
私が精いっぱい、一人一人に丁寧な治療を行っても、理解してくれる人がいない。ナメられてる…。ジレンマに陥りました。

「タダで治療してほしい」
「時間がないから5分で治療してほしい」
「治療しても効かなかったから、お金返して欲しい」
「(慰謝料目的だから)電気だけ当ててくれたらいい」
など無茶な要求をしてくる人もいました。
無茶な要求にもできるだけ応えていました。
私は患者さんに媚びてしまっていたのです…。

毎日多くの患者さんが押し寄せる中で、
私の頭の中は「どう廻すか」常に段取りのことでいっぱい。
指示通り動けないスタッフにイライラして怒っていました。
治療がマニュアル的な流れ作業になり、集中してしっかり診ていく余裕はありませんでした。
忙しい中、急いで治療していると、単純ミスや、ヒヤリハットさせられることもありました。これでは医療事故になりかねない。
「このままではダメだ…」という感情が芽生えていました。
本来の「治療する、ケガを治す」根幹部分がブレていたのです。
いくら流行っていても、本業からかけ離れた状態でした。

ちょうどその頃、健康保険の改正があり、健康保険の取扱いはますます厳しくなっていました。長期に渡って治療を継続することはできません。
柔道整復師の不正請求が社会問題になり、患者調査が頻繁に行われ、保険の不支給、返戻、減額がたびたび発生しました。月末月始、夜遅くまでレセプト事務作業をするのは極度のストレスでした。
健康保険では「電気を当てて、冷やすか温める」程度のもので、治療内容や期間に著しい制限があります。
これでは画一的な最低限の治療で、一人一人に応じた治療ができず、効果が期待できない。バカバカしい!「もう健康保険は辞めよう」

新しい治療院を創る

もう一度、「一人一人の患者さんと向き合い、“根本から本気で治す”治療院を創ろう」と原点に立ち返り、「健康保険は辞める」決意をしました。そして、スタッフに頼らず、自分がすべての治療に責任を持つことにしました。

平成28年9月、まずは、保険負担金に1500円の加算をさせて頂きました。
これは保険ではまかなえない部分を最良の方法で治療するためです。
この加算をすることで、お喋り目的の方はピタっと来なくなりました。
「前に治療受けて楽になったからまたしてほしい。」
私を信頼してくれ、治療を受けたいという方が細々と来院されていました。

平成29年1月、「完全予約制」を導入。一人一人の時間枠を設定しました。
これでバタバタと段取りを気にすることもなく、落ち着いた空間で集中してしっかり治療が行えるようになりました。予約なしの方は原則お断りしました。

平成29年4月、ついに健康保険取扱いを辞めます。開院以来、初めての大きな決断でした。
健康保険が使えるのは“受傷日時、原因が明確な急性の怪我(脱臼、骨折、捻挫、打撲、挫傷)”に限ります。
正しく健康保険を取扱うと適用できる人がほとんどいなくなったのを機に、健康保険取扱いを辞め、“根本から本気で治す”最良の治療を提供するため、自費治療を専門に行う「自費治療専門院」として再スタートしました。

平成29年6月より、「「土曜、日曜、祝日診療」開始。
仕事や家事で平日なかなか来院できない方のために始めました。

これで当院の三大方針
「完全予約制」「自費治療専門」「土日祝診療」

が揃いました。また一から新たに開業した気持ちです。出直し。

つぼき鍼灸整骨院のミッション(使命)は、
地域に密着し必要とされ貢献できる、根本から本気で治す最良の治療を提供する、我々にしかできないオンリーワンな治療院であること。

そして、「仕事やスポーツ、家事や育児などを一生懸命頑張っている人の力になりたい。」特に、身体が資本の方を全力でサポートしてあげたい。との熱意をもっています。


健康保険に制約されることなく、カウンセリングに力を入れて、痛みの原因を突き止め、最良の治療が提供できるようになりました。
当院の方針に理解のある方が定期的に治療を受けに来られています。
来院された患者さんからの口コミで徐々に患者さんは増えていきました。
今、来院されている方は、まず事前に予約をとり、必ずその時間に来られます。
よほどのことがない限りキャンセルや時間変更、遅刻もありません。
健康への意識が高く、身体の不調を感じると早めの治療を希望され、治療計画や生活指導をきちんと守ってくれます。
調子が良くても、予防のために定期的なケアを続けておられます。
私はやりがいを感じられるようになりました。私の健康状態も格段に良くなりました。ストレスを感じず落ち着いてハツラツとした気持ちで治療が出来ています。
私が健康で元気じゃないと、いい治療は提供できません。
スタッフに任せるのではなく、院長の私が責任を持って、問診、検査、治療に当たらせて頂いています。
カウンセリングに時間をとり、症状の根本原因を突き止め、マンツーマンで、一人一人に応じたオーダーメイド治療を行っています。
私が責任を持ってすべての方の治療に当たらせて頂くため、一日の予約人数に制限を設けています。その代わり、土日祝日、お昼休みも関係なく診療しています。
保険治療では改善しない痛みや痺れなどお身体でお悩みの方は私が全力でサポートさせて頂いています。
その場の気持ち良さでなく、「身体を根本から良くしたい」との想いをお持ちで、お身体の調子を整えたい方は、一度お問い合わせ、ご相談ください。
治療も、「あせらず あわてず あきらめず」ですよ!



(追伸)
プロフィールのシリーズはいかがでしたか?
中学生時代に強く憧れた鍼灸師・柔道整復師。
それを導いてくれた両親、恩師や学友。
人助けをしたい純粋な気持ち。
必死のパッチで、がむしゃらだった学生時代。
開業した時の熱い想い。
根本から本気で治す最良の治療を提供するために一から出直し、新しい治療院を創る時の決意。
あの時の気持ちや、初心を思い出すきっかけになりました。
まだまだ若輩ではありますが、院長・坪木心吾と、当院のことを少しでも知ってもらえたら幸いです。